スギ花粉症は今ではすっかり日本の国民病になっています。しかし、そうなったのは、実はかなり最近になってからのことです。
日本では1960年代までにブタクサ花粉症、スギ花粉症、イネ科植物の花粉症などの発症例が報告されてはいます。しかし「花粉症」という言葉を私たちが耳にするようになったのは1970年代の後半になってからで、 スギ花粉症を発症する人が急速に増え始めたのもこの頃です。 (参照=環境省 花粉症環境保健マニュアル2014 http://www.env.go.jp/chemi/anzen/kafun/manual/full.pdf)
花粉症の存在がまだ世間の人々に認知されていなかった頃に花粉症を発症していた少数の人たちのほとんどは、自分のその症状が花粉によって引き起こされているアレルギー反応だと理解はしていなかったのです。そして、鼻水をズルズルさせたり、クシャミを連発したりしながら、「オレは毎年のように春になると、しつこい風邪をひくなー」などと思っていたようです。
花粉症を発症する人がほとんどいなかった頃、つまり1970年代の前半くらいまでは、日本列島で春に飛散しているスギ花粉の量は、近年と比較するとずっと少なかったようです。では、なぜ1970年代の後半以降にスギ花粉の飛散量は増加することになったのでしょうか?
戦時中の乱伐や戦後の木材需要の急増のために昭和二十〜三十年代の日本では木材=森林資源が不足しました。この事態を打開するために推し進められたのが「拡大造林」政策です。木材=森林資源は、日本の成長・発展のために将来もずっと必要となると判断され、この政策が推し進められることになったわけです。
資料:林野庁業務資料(平成24年3月31日現在)
出展:農林水産省ホームページ(http://www.rinya.maff.go.jp/j/sin_riyou/kafun/data.html)
そして、成長が速く、当時は木材としての需要も高まっていたスギが日本中の山々に植えられていきました。スギは樹齢二十年くらいで花粉を飛ばし始め、樹齢三十年くらいから飛ばす花粉の量を一層増やすようになります。
1970年代の後半くらいから日本列島で飛散するスギ花粉の量が急増し始めたのは、この「拡大造林」政策によって植えられたスギが花粉を飛ばすようになったためだったのです。
資料:林野庁業務資料(平成24年3月31日)
出展:農林水産省ホームページ(http://www.rinya.maff.go.jp/j/sin_riyou/kafun/data.html)
その後、安価な外国産木材の輸入量が急速に増え、スギをはじめとする国産木材の需要は急速に減少してしまいました。その結果、「拡大造林」政策で植えられた樹木は伐採されるべき樹齢となっても伐採されず、多くの山々が荒れてしまいます。
そして、この荒れた山々の伐採されるべき時期を過ぎたスギから毎春、大量の花粉が撒き散らされているのです。
当サイトをパソコンでご覧いただいていて文字が小さく、見づらい場合には、メニューバーの「表示」から「文字のサイズ」を選んで拡大してください。できるだけ音声プラウザに配慮してサイトを制作しておりますが、至らない点はご容赦ください。